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ハッカの歴史 History of Mint

世界一のハッカ工場

01北見薄荷工場

現ホクレン(当時の北海道信用購買販売組合)によって、道内で唯一北見に建設されたハッカ精製工場。農家から集めた取卸油を二次加工するための環境と、ハッカの買取価格の安定などの諸問題解決も含め、その指揮をとる格好で、農民その他の関係者の要望に応え建設に踏み切ったものでした。建設には道庁も大きく関わり、その関係者全ての作業は急ピッチで進められながら、僅か1年という短期間で試験運転までこぎつけ、その直後から世界に誇る「北見薄荷工場」として、フル稼動のスタートを切りました。この工場こそが「北見ハッカ」を世界のトップに押し上げるための役割を果たす、最も重要な施設だったのです。

施設概要

施設概要
落 成 昭和9年8月
請負人 札幌、田中組
総工費 114,000円(内4万円が道より助成)
敷 地 約4,100坪(内706㎡は1939年増分)
建 物 約1,260坪(鉄筋コンクリート2階建)
竣 工 1933年11月30日(昭和8年)
  • 工場の役割

    ホクレンでは、生産者から委託を受けた「原油の加工」と同時に、その販売委託も受ける仕組みとして、販売価格から製造に要した経費を差引き、取卸油を出荷したそれぞれの農家に配分する「共同販売共同計算方式」を採用しました。集荷・製造・販売の一環した効率性と、産地の保全を行い、生産者の経済安定につなげるという方法を取り運営を行った訳です。

  • 精製事業

    ハーブは一般的に蒸留によって精油を抽出し、それを加工品の原料として利用しますが、ハッカ(特に和種ハッカ)は更に、ハッカ油とハッカ脳を分離する作業が加わるため、薄荷工場では農家が蒸留したハッカの原油(取卸油)から「薄荷油」と「薄荷脳」を分離し「精製ハッカ脳」と「精製ハッカ油」として製品化する作業を行っていました。そして、「HOKURENブランド」として、北見ハッカ工場から国内外へ向け出荷され、年を追うごとにその量を伸ばし、地位を確立して行ったのでした。

関係した人々

  • 小林篤一(こばやし とくいち)

    兵庫県出身、明治43年美唄に入地。大正8年、北海道信用購買販売組合役員に就任し後に会長となるが、「表が裏、裏が表」の名文句を残したことでも知られる人物。

    小林篤一
  • 三輪龍揚(みわ りゅうよう)

    熊本県出身で札幌農学校(現北海道大学)を卒業後、日本勧業銀行勤務、昭和7年北海道信用購買販売組合会長に就任。ハッカ生産者の利益を守るためハッカの統制販売を導入、ハッカ精製及び製品化の必要性を訴えハッカ工場建設に尽力した。

  • 記念碑

    現在、北見ハッカ工場跡地の記念館敷地内には、ハッカ工場建設に深く関わった当時の北連会長三輪氏などの銅像や天皇陛下の工場視察を記念した記念碑などが建立されています。

  • 行幸啓記念碑(ぎょうこうけい)

    昭和29年8月12日、天皇・皇后両陛下が北見市を訪問、北見ハッカ工場の視察されました。これを記念してホクレンが建立した記念碑です。

    行幸啓記念碑

02工場にまつわるエピソード

待望の幕開けと共に一挙に生産体制が整い、北見ハッカを世界のトップの座に君臨させるまでに影響を与えた「北見薄荷工場」。農民の強い要望を背負いながらも、その裏には様々な出来事がありました。

  • 「互いの欲望」

    大正初期に起こった大事件「サミュエル事件」を筆頭とする、生産者と買付け業者の争いなどが勢いを増している中、農家側は安定した生産価格での販売を強く求めていました。農家は少しでも高く売りたく、業者は少しでも安く買いたいという、双方の欲望をめぐる攻防を契機に、農家達のハッカ工場の建設機運が一層高まり、多数の関係者達も判断を急がざるを得ない状況の中で建設された工場でした。

  • 「他の民間も・・」

    工場の建設に際しては、資本力のある買付け商社らの申出もあり、道庁内でも「ホクレン派」と「民間派」でギリギリまで大きく対立していました。その結果、同時期に建設要望のあった「除虫菊工場(蚊取り線香等の原料)」を民間に委託する事を前提としてホクレン側に工場建設を許可した経緯があったのです。

  • 「本当は遠軽!?」

    実は当初、同じ北見地方の「遠軽町」に建設用地は予定されていましたが、要望が強かった北見市からの「用地寄付の申出」によって、急きょ予定地変更という事態も起こりました。

  • 「急転北見へ」

    昭和7年8月14日旭川で開催された北連の臨時総会で、「薄荷加工事業の件」の議案が満場一致で決議され、即座に道庁への要望書、建設地決定、建設計画設定、工事着手となり、北見が幕開けの地となったのです。翌昭和8年11月竣工というスピードは、北連の工場建設にかけた決意の程が伺える内容でした。

  • 「事務所」

    事務所を建てる時、ホクレン側担当者と設計者は北海道らしさを出すために、ハッカの故郷イギリスで3~400年程前まで盛んに使われていた方式の「ハーフデンバースタイル」を取り入れ設計したと言われています。太い柱や梁をむき出しにし、その間の壁は石材や土壁などで充填したスタイルで、昭和初期にはとても珍しい二重窓やカットガラス、貴賓室その他各部屋の空気抜きなど贅を懲らした作りで、建築依頼を受けた建築屋がホクレンが提示した金額が多額でどこにお金をかけようか戸惑ったほどだったと言います。

  • 「表が裏、裏が表」

    建設決定後も道庁に対する他の民間業者の申出が取下げられず、ホクレンとしても急ぐ事を余儀なくされ、当初予定地の遠軽に合わせた図面をそのまま使いました。その結果、「正門」が工場裏面の道路側、本来の工場正面が、「裏」に見える様な建て方となってしまい「表が裏、裏が表」と囁かれ、何とも不思議な向きになってしまったのです。

昭和24年11月2日温根湯で行われた「薄荷懐古座談会」における小林元北連会長談 あの時は、遠軽に工場を建てることに北君(※1)一人で決めてきた。それから僕が見に行った所、狭くて拡張する余地はなし、こんな窮屈な所へ工場を建てるのは駄目だとい言った。そうこうしている内に、野付牛の方で工場敷地を全部寄付するから工場をこちらに建ててくれとの話があったので見に行った。ところが、岐戦も入っているし場所としては非常に良いしそこに決めた。後になって考えてみると、北君は既に遠軽町長と決めてしまって、林さん(※2)や矢沢の婆さん(※3)などと相談して、その敷地一杯に当てはまるように設計してあったんだ。それが野付牛に変更になり、非常に建設を急いだものだから、遠軽の敷地に当てはめて作った設計をそのまま野付牛に持って来たものだから、それで今見ても「裏が表」で「表が裏」と言った具合に表裏反対になってしまった。
(※1 … 当時北連販売部長 北 政清氏。 ※2 … 北海道工業試験場工場長 林 嘉吉氏。 ※3 … 矢沢薄荷当主夫人、北見薄荷工場初期の技術顧問でもある、矢沢ワカ)

03ハッカの施設

契約栽培状況

工場閉鎖
古くは世界相場をも動かし、日本の農産物としては類稀な活躍をしてきた北見ハッカ。しかし、対外圧力によって輸入自由化を余儀なくされ、更に合成ハッカの進出や人件費高騰などが製品原価を押し上げ、衰退の一途をたどりました。その結果、昭和58年3月末、惜しまれながらも北見ハッカ工場に幕が下ろされたのでした。現在日本では、様々な一次産品が自由化され、生産者や関連産業が次々と縮小すると言う現実もありますが、世界に誇ったハッカでさえこの影響によって衰退した訳ですから、今後も他の様々な国産製品もまた、こう言った試練に立たされる事でしょう。激動の歴史をたどって来た今は、ひっそりとその古き良き「ハッカ隆盛時代」の痕跡を後世に伝えながら待っています。次なる活躍を...

  • ハッカ記念館

    昭和9年からハッカ産業を支えてきた「ホクレン北見薄荷工場」の旧事務所を改修した建物です。
    1985年(昭和60年)ホクレンより、敷地を含む建物や工場設備100数点他の寄贈を受け、議会承認後不足分の土地を購入。工場と倉庫は取り壊されましたが、旧事務所の化粧直しや敷地内の整備工事に着手を始め、工場閉鎖から3年後の1986年(昭和61年)に市の管理運営する「北見ハッカ記念館」として生まれ変わりました。平成19年11月30日、経済産業省より日本近代化産業遺産として認定され、現在ではハッカの歴史を今に伝える大切な遺産となりました。庭には数十種のミントも観賞出来、ハッカについて知りたい方は必見です。

    ハッカ記念館
  • 薄荷蒸留館

    2003年ハッカ記念館の敷地内に併設された施設です。館内には作業効率の向上に大きく寄与した「田中式蒸留釜」の展示や北見ならではのハッカ製品が買える売店も設置されております。連日ミニ蒸留器による実演が行われ、蒸留の仕組みが一目でわかり、来館者を楽しませてくれます。本州からの来館者がオープン当初から年々増加し、人気を博している施設です。

    (両館共)

    場所 北見市南仲町1丁目7番28号
    TEL 0157-23-6200
    開館時間 9:00~17:00(5月~10月) 9:30~16:30(11月~4月)
    休館日 毎週月曜日・国民の祝日の翌日、年末年始12月30日~翌年1月6日(月曜日が祝日の場合は開館、翌日は休館)
    (金・土曜日が祝日の場合は開館、翌日も開館)
    入館料 無料
    交通 JR北見駅から徒歩約12分(無料駐車場有/大型車両も可)
    薄荷蒸留館 薄荷蒸留館
  • ハッカ御殿

    北見ハッカ隆盛期の昭和12年、大工の山中金五郎が3年の歳月をかけて建て、昭和61年まで実際に住まれていた「旧五十嵐弥一邸」を、平成6年「ハッカ御殿」として北見市が「仁頃はっか公園」に移築修復したものです。
    同公園内には「ハッカ作業小屋」当時の農機具なども展示され、最後の改良和種「ほくと」のハッカ畑と蒸留所も建設されました。ここで実際に収穫したハッカ草の蒸留も行なわれ、当社オリジナル製品としても出荷されております。また古くからの改良種や外来種の保存苗が道内唯一残された場所として、数十種の品種を見る事ができます。

    ハッカ御殿
  • ハッカ農園

    公園に隣接する4000㎡の畑で、指定管理者「仁頃香りの会」が、作付け・管理・蒸留まで一連の作業を実演しています。

    ハッカ農園
  • ハッカ小屋

    通常、農家の住宅周りには、機械格納庫・農作業準備・休憩場所等として利用する作業小屋(納屋)がありました。薄荷景気にわいていた大正~昭和10年代にかけて一般的にみられた小屋を再現しています。2棟あり、農作業機械、生活用品などが展示されています。

    ハッカ小屋
  • ハッカ蒸留小屋

    屋内にはボイラー式蒸留器が設置され、短時間での蒸留が実現できるようになりました。

  • 仁頃はっか公園総合情報館

    平成17年に完成した北見市にある農業を中心とした自然・景勝地10ヶ所、伝統文化1ヶ所、歴史的跡地6ヶ所歴史的施設8ヶ所の25ヶ所の展示物(サテライト)の案内と情報発信しているコア施設です。館内では、地産の農産物を使いパン・味噌などが作れる体験ができます。
    「ハッカ御殿」「ハッカ農園」「蒸留小屋」の管理棟にもなっていますので、ハッカ公園内施設についてのお問い合わせの際はご利用下さい。

    場所 北見市仁頃町301
    TEL 0157-33-2646
    時間 10:00~16:00(7月1日~8月31日は9:30~16:30)
    入場 無料
    交通 北見バス仁頃常呂線・6号線下車徒歩約10分
    仁頃はっか公園総合情報館